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岡山県瀬戸内市で活動しているスペインメソッドサッカースクール

俺、スペイン行ってくるわ!~息子のスペイン留学バレンシア回顧録~

の続き

 

 

 

スペイン、バレンシア州SPFアカデミーでの回顧録

息子が最終的な目標を決め、選手としての人生計画を立てると、スペイン語の必要性を感じました。

5年生でエスパニョールへの練習参加をし、その時の代理人の方にお話を頂いてから色々と話し合い、スペイン留学を決断しました。

 

 

どうしてバレンシアSPFアカデミーを選んだのか?

代理人の方が色々と探してくれた中で、当初はカタルーニャでのホームステイからバルセロナ近郊のチームに行く予定でした。

しかし、話を聞くと、費用面は抑えられる反面、私生活に不安があり、こちら側から色々と要望を伝えました。

ホームステイではなくアカデミーに所属して、管理されているレジデンスから学校や所属チームの練習に通えるところに、留学することになりました。

 

そのアカデミーだったのが、SPFでした。

 

 

 

サッカー環境はアカデミーと地元のクラブチーム

アカデミーでは、午前中に週3回練習があり、土日にTRM。

所属チームでは、学校が終わった後に週3回練習に行ってました。

 

スペインは、どこのチームも人工芝か天然芝でプレーします。

サッカーをする環境としては、最高環境でしたね。

 

所属したチームでは、インファンティルのBチームに所属しておりました。

選手登録ができなかったので、Aチームには昇格できませんでした。

つまり、公式戦(リーグ戦)にも出場できませんでした。

 

しかし、アカデミーでTRM(トレーニングマッチ)の機会があったことは本当に良かったです。

 

カタルーニャにいってたら、アカデミーでのTRMもなかったので、試合経験がないまま終わってしまうところでした。

 

コロナ真っ只中だったので、TRMもかなり少なかったですけどね。

 

自粛期間でもアカデミーは、隔離されていたので、練習はあったみたいです。

時期が悪かった割には、日本にいるよりも練習がたくさんできたと思います。

 

 

アカデミーは、ほとんどが高校生以上で、中学生は一緒に行った友達と二人だけでした。

つまり練習も22歳くらいから16歳の中で毎日やっていました。

中には、2部や3部リーグの練習生なんかもいたようです。

とてもレベルが高い中でやらせてもらえました。

 

 

 

学校は、アカデミー提携校

義務教育となっている中等教育は ESO(エソ: Educación Secundaria Obligatoria)と呼ばれていますが、息子はスペイン語が話せないので、別室で語学のみを勉強していました。

日常会話がある程度できるようになった段階で、語学を利用した勉強が始まりました。

留学2か月目の息子(当時13歳になったばかり)の課題発表の様子。

スペイン留学2ヶ月目の中学1年生 - YouTube

 

 

留学の手続きと費用

アポスティーユ申請

公印確認申請

 

委任状

 

渡航同意書

これらの手続きとその他コロナ関係の申請や保険の事などがありました。

 

 

 

 

留学費用

10ヶ月コースを利用し350万円程が提示されました。

代理人の方の手数料を入れて380万円程かかったと思います。

もちろんこれに息子の10か月分の何かあった時のためのお金を持たせたりすると400万を超えます。

安くしようと思うと、ホームステイを利用することで費用を抑えることもできますが、やはり学校や地元チームへの行き来を完全送迎してくれたり、アカデミーの施設に常駐するスタッフのことを考えると、より安全に生活できるのはアカデミーに入れるのが良いと思い、高額ながらSPFを利用させていただきました。

 

 

スペイン・バレンシアでの生活

普段の生活は、アカデミーのレジデンスを拠点として、ルームメイトと同部屋で過ごし、SPFアカデミーに所属する選手たちと一緒に生活をします。

食事は、スタッフが3食とも作ってくれます。

スペインについて、レジデンスの初日の写真がこれだったので、僕たちはめちゃくちゃ不安になりました。

一番奥の方・・・・。この写真だけ見たらやばくないですか?(笑)

めちゃくちゃ優しかったらしいですけど。

 

学校と地元のクラブチームへは車で完全送迎。

買い物行ったりはできたみたいです。

 

   

 

 

スペイン・バレンシアでのトレーニン

午前中はSPFアカデミー生とトレーニング。

基本的には、SPFアカデミーは、ほとんどの選手が、SPFアカデミーでトレーニングしたりコンディション調整したりしながら、各チームへトライアウトをする選手たちです。

ですので、年齢的には18~22歳くらいまでの選手が多いです。

息子は、合流当時12歳でしたので、フィジカル的にはついて行けない相手なので、より立ち位置や技術でどうにかしなければいけませんでした。

 

 

地元のチームは、サンホセというバレンシアの1部リーグに所属すチームでした。

基本的にはinfantil(インファンティル・13歳14歳)のBチームでの活動でした。

何回かはcadete(カデーテ15歳16歳)のBでトレーニングさせてもらったようです。

cadeteは、バレンシア州1部リーグで優勝していましたね。

全国リーグ1部と2部があって、その下ですね。

 

サンホセのチームメイト

 

 

注意点

留学では、基本的に選手登録ができない。

選手登録する方法もあるようですが、弁護士たてて法廷手続きして、100万くらいかかりながら、何か月もかけて通るかどうか分からないくらいらしいので、そこまでやるほどの事ではないと思い、断念しました。

 

 

まとめ

エスパニョールの練習参加から多くの事を学び、感じて、将来を見据えた人生計画を立ててから、臨んだスペイン留学は、行くまでの苦労や費用、息子の精神的なストレスなど多くの困難がありましたが、終わってみれば、親子で行ってよかったと思えるものでした。

もちろん、もっと良い方法もあったのかもしれませんが、当時の僕たちは、これが限界でしたね。

 

息子は、日本に戻って来てから、留学の事を振り返ると

「向こうのサッカーの環境は、比べ物にならないくらい良かった。もっとやれることがあった。もう一度あの環境でやりたい。」

と、少しの後悔と将来の決意を口にしていました。

それは、ただ単に環境だけのことを言っているのではなく、求めていたサッカーの内容が、そこにあったからです。

圧倒的なプレースピードと的確な判断。

洗練された攻守の組織。

 

物凄く楽しかったようです。

 

そして、向こうで日本の勉強をしていなかった分、驚くほど馬鹿になって帰ってきました(´・ω・`)

 

まぁ、僕は、そこまで気にしていませんでしたが、今となっては、息子にとって苦くて良い思い出の一つですね。

 

そんなスペイン留学でした。